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長崎 2022 その3 軍艦島の備忘録 [【旅行】九州]

軍艦島は通称で、正式には、端島(はしま)と呼ぶ。
ある角度(乗り降りする場所の逆側あたり)からみると、軍艦「土佐」に見えるからそう呼ばれた。


端島は、もともと、このような形の島ではなかった。
6回の埋め立てにより、現在の形になっている。
いわゆる人工島。

端島(はしま)は、岩崎弥太郎(三菱)が炭鉱のために買取り、当時の技術を全てつぎ込んだ島になった。
鉄筋コンクリートは、日本初。
ただ、このアパートは崩壊寸前で、昨年、一部が崩落してしまった。
今度、ここに来た時には別の姿になってしまっているだろう。



そんな端島も、日本のエネルギー政策の転換(石炭から石油へ)により、1974年に閉山。
わずか、50年という月日で、廃墟となってしまった。

世界遺産登録など、韓国の妨害があったらしい。
軍艦島を奴隷の島という汚名に仕立てようとしている。
実際に、そうだったのか?

当時、三種の神器と言われている「冷蔵庫」「洗濯機」「白黒テレビ」はみんな持ってたし、病院、パチンコ、さらに遊廓まであった。
3軒ある遊廓のうち一つは朝鮮人専用の遊廓だった。

過酷で危険の仕事であることは間違いない。
それは、日本人でも同じ。
だからこそ見返りとして、多額な賃金(当時の3倍の給料)が支給されていた。



「慰安婦」に続く「徴用工」という捏造の歴史なのかどうか。
実際に、現地に行くことで見えてくることも多かった。

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